太陽の残り火
地上にいるのに、水のなかにいるって思ったことはありませんか。
今の季節(9月)だと18時に日が沈むのですが、その前後の時間帯で、夕焼けが見えなくなってから真っ暗な夜が訪れるまでの間、青い夕暮れになることがあります。
見えるもの全てが薄い青色に染まって、普段明るく見える赤に近い色は黒に近く見えます。例えば木の葉も真っ黒に見えるので、薄青い光を背後にして、輪郭がくっきりと浮かび上がります。木の葉の色は見えなくなるけど、その代わりに形が見えてくるんですね。
そういう時にベランダに出て、自分の手を前に伸ばしてみると薄青く見えます。いつもの黄褐色が嘘のようで、本当はこんな薄い青色をしていたのかもしれないと思うほどです。1日のうちこの時間帯だけ、自分の手や世界が、本当の色や形を私に見せてくれる…。昼の世界は目眩しで、夜の世界は幻影ばかり。そのあいだの時間。このほんのわずかな時間だけ、世界はいつもの力強さを失って、眠る前に等身大の美しい目配せを送ってくれている…。そんな気がしてきます。
私の中からも、そんな世界に応えて、普段眠っている考えが浮かび上がってくることがあります。もしもあの時こうしていたら…さまざまな後悔。忘れたつもりでいて忘れられていないこと。
こういうとき、薄い青色に世界が溶け出したように私には見えていました。自分の腕も、木々も、全てが薄い青色に染まって、そのまま溶け出していきそうでした。理由は分からないけど、とにかく私もこのまま溶けて消えていきたい…。この青のなかに溶けていきたい。そう思うことがよくありました。
この時間帯にはいくつか名前がついていて、Pluto time、マジックアワー、プルキニェ現象などがあるようです。
Pluto timeはPluto=冥王星の明るさに近くなる時間帯ということから付けられた名前のようです。太陽系のどの惑星よりも太陽から遠いところにある(準惑星の)冥王星の普段の明るさに近いということらしいですね。地球においては、それくらい太陽の光が弱まる時間帯だということなのでしょう。
プルキニェ現象は、チェコの生理学者J.プルキニェが見出した現象なんだそうです。プルキニェは人間を始めとした哺乳類の各器官について様々な発見をしているらしいのですが、光の条件とそれに対応する目の順応状態によって、色の明るさが違って見えることに注目して発見したのがプルキニェ現象らしいです。光が強いと、人間の目の網膜の細胞のうち錐状体という細胞の働きが活発になるとか。そうすると、長い波長の色によく反応するようになるので、長波長の赤色のものが明るく見えるようになると。昼間はそういう状態にあるわけですね。反対に光が弱いとき、錐状体ではなく桿状体の働きが活発になり、短い波長の色によく反応するようになるので、短波長の青色が明るく見えるようになるということらしいです。光が弱いときに青色が明るく見えることを、プルキニェ現象というらしいですね。色が変わって見える原因は光の強さの変化にあるだけではなく、人間の目の状態の変化にもあるということなのでしょうか。
最後に、江國香織の作品のどこかでこの時間帯のことが語られていた気がしたので、それを載せたいと思っていたのですが、どこだったか忘れてしまいました。代わりに、久しぶりに読み返してみて、夕方について書いてある素敵なところを見つけたので、そちらを載せておきます。(もしかしたら今の私が忘れていると思っている箇所も、この部分のことかもしれません。)
「心というのは不思議です。自分のものながら得体が知れなくて、ときどき怖くなるほどです。
私の心は夕方にいちばん澄みます。それはたしかです。だから夕方の私がいちばん冷静で、大事なことはできるだけ夕方に決めるようにしています。
私は冷静なものが好きです。冷静で、明晰で、しずかで、あかるくて、絶望しているものが好きです。」